古事記

5分で読める「古事記」中巻(8)・倭建命の東征

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古事記・中巻

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ヤマトタケルの旅立ち

九州から戻ったヤマトタケルに対し、父・景行けいこう天皇は直ちに東国の平定を命じました。

ヤマトタケルは旅の途中、叔母・ヤマトヒメに会い、「天皇は私が早く死ねばよいと思っているに違いない」と言って泣き出しました。

すると叔母は、伊勢神宮にあった草薙剣くさなぎのつるぎと袋を渡し、困ったときに開けるように言いました。

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ヤマトタケルの婚約

伊勢を経て尾張国おわりのくに(愛知県)へ入ったヤマトタケルは、ミヤズヒメを見染て結婚しようとしましたが、婚約だけして東国へ出発しました。

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ヤマトヒメの贈り物で危機を脱する

相武国さがむのくに(静岡県)では、国造くにのみやっこ(地方長官)に「大きな沼に荒ぶる神がいる」と騙され、野原に入った際、国造に火を放たれました。

このとき、叔母から授かった袋を開けると火打石が入っていたので、草薙剣で周囲の草を薙ぎ払い、火打石で向い火をつけて火をはね返し、国造を倒しました。

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海に身を投じたオトタチバナ

ヤマトタケルはさらに東へ進み、走水海はしりみずのうみ(浦賀水道)から船で房総半島に渡ろうとしました。

しかし、海神が荒波を起こして進むことができませんでした。

すると、同行していた妻・オトタチバナが、海神を鎮めるために自ら海に身を投げました。

7日後、浜辺でオトタチバナの櫛だけが見つかったので、ヤマトタケルはそれを埋めて陵墓を築きました。

やがて東国の蝦夷えみしや神々を平定し、大和へ戻ろうと足柄あしがらの山頂に着いた時、亡くなった妻を想い、「吾妻あづまはや(ああ、我が妻よ)」と嘆いたため、東国は吾妻(東)あずまと呼ばれるようになりました。

蝦夷とは、天皇に従わない人々のことです。
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ヤマトタケル最後の結婚

足柄山、甲斐国かいのくに(山梨県)、科野国しなののくに(長野県)を越えたヤマトタケルは尾張国まで戻ると、婚約していたミヤズヒメのもとを訪れ、ようやく2人は結ばれました。