古事記・下巻
租税と賦役の免除
第16代・仁徳天皇は、弟・ウジノワキイラツコと皇位を譲り合い、弟が亡くなったために天皇となり、大和(奈良県)を離れて高津宮(大阪市中央区)で政務を行いました。
ある時、天皇が高い山に登って四方を見渡すと、民家の竈から煙が立ち上っていませんでした。
それを見た天皇は、人々が食事もできないほど貧しいことに気付き、3年間、租税と賦役(農民のような特定階級の人々に課せられた労働)を全て免除しました。
このため、天皇の宮殿は傷んで雨漏りがするほどでしたが、修繕を命じることはなく、器で雨を受けて雨漏りがする場所を避けて暮らしました。
3年後、山に登って国中を見渡すと、竈の煙が一面に立ち上っていました。
人々が豊かになったのを見届けると、以前のように租税と賦役を再開させましたが、苦しむ人々はいなかったと言われています。
人民を慈しむ仁徳天皇は「聖帝」と呼ばれ、称えられたと言われています。
名前 | |
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1 | 男性 仁徳天皇(にんとくてんのう) |
2 | 男性 宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ) |
治水工事の着手
高津宮がある難波一帯は、淀川が流れ込む低湿地帯で、洪水などの水害が多発していました。
そこで仁徳天皇は、優れた土木技術を持つ渡来人の秦氏に命じて、治水工事に着手しました。
茨田(大阪府寝屋川市)に治水用の堤と屯倉(大和王権直轄の穀倉)を築き、灌漑用に丸迩池(大阪府富田林市)、依網池(大阪府堺市)を作りました。
さらに、水上交通網を整備するため、小椅江(大阪市天王寺区)に堀を開削し、難波の入江を掘って墨江津(大阪市住吉区)と呼ばれる港を作りました。