古事記

5分で読める「古事記」下巻(1)・仁徳天皇の仁政

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古事記・下巻

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租税と賦役の免除

第16代・仁徳にんとく天皇は、弟・ウジノワキイラツコと皇位を譲り合い、弟が亡くなったために天皇となり、大和やまと(奈良県)を離れて高津宮たかつのみや(大阪市中央区)で政務を行いました。

ある時、天皇が高い山に登って四方を見渡すと、民家のかまどから煙が立ち上っていませんでした。

それを見た天皇は、人々が食事もできないほど貧しいことに気付き、3年間、租税と賦役ふえき(農民のような特定階級の人々に課せられた労働)を全て免除しました。

このため、天皇の宮殿は傷んで雨漏りがするほどでしたが、修繕を命じることはなく、器で雨を受けて雨漏りがする場所を避けて暮らしました。

3年後、山に登って国中を見渡すと、竈の煙が一面に立ち上っていました。

人々が豊かになったのを見届けると、以前のように租税と賦役を再開させましたが、苦しむ人々はいなかったと言われています。

人民を慈しむ仁徳天皇は「聖帝ひじりのみかど」と呼ばれ、称えられたと言われています。

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治水工事の着手

高津宮がある難波なにわ一帯は、淀川よどがわが流れ込む低湿地帯で、洪水などの水害が多発していました。

そこで仁徳天皇は、優れた土木技術を持つ渡来人とらいじん秦氏はたうじに命じて、治水工事に着手しました。

茨田まむた(大阪府寝屋川市)に治水用の堤と屯倉みやけ(大和王権直轄の穀倉)を築き、灌漑かんがい用に丸迩池わにのいけ(大阪府富田林市)、依網池よさみのいけ(大阪府堺市)を作りました。

さらに、水上交通網を整備するため、小椅江おばしのえ(大阪市天王寺区)に堀を開削し、難波の入江を掘って墨江津すみえのつ(大阪市住吉区)と呼ばれる港を作りました。

渡来人とは、大陸や朝鮮半島から日本に移住した人々のことです。
秦氏とは渡来人の氏族で、論語、千字文せんじもん(漢文の長詩で書かれた漢字練習のテキスト)、土木や養蚕、機織などの技術を日本にもたらしました。