古事記

5分で読める「古事記」中巻(7)・倭建命の西征

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古事記・中巻

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ヤマトタケルの暴虐な資質

第12代・景行けいこう天皇の子に、オオウスとオウス(後のヤマトタケル)という兄弟がいました。

ある日、三野みの(美濃)国に美しい姉妹がいると聞いた天皇は、自分の妻とするために、兄のオオウスを遣わして姉妹を連れ帰るよう命じました。

ところが、兄はその姉妹を自分の妻にして、別の娘を天皇に差し出しました。

この一件以来、兄が食事の席に顔を出さなくなったので、不審に思った天皇は、まだ少年の弟・オウスに「教え諭しなさい」と命じます。

するとオウスは、兄の手足を引きちぎって殺してしまいました。

この暴力的な資質を恐れた天皇は、オウスを追い払うための口実として、九州のクマソタケル兄弟の討伐を命じました。

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ヤマトタケルの旅立ち

オウスは、出発前に叔母・ヤマトヒメのもとを訪れ、女性用の衣装とお守りを受け取ると、短剣を懐に入れ、西へ向かって旅立ちました。

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クマソタケル兄弟の討伐

オウスは、九州南部のクマソタケルの館にたどり着くと、叔母から借りた服を着て女装し、宴会に行く女たちに紛れ込んで、館へ潜入しました。

宴会が始まり、クマソタケル兄弟に見初められたオウスは、ふたりの間に座って酌をしました。宴もたけなわになったその時、オウスは兄クマソの襟をつかみ、胸に剣を突き刺して殺しました。

その様子を見た弟クマソが慌てて逃げ出したため、追い詰めて尻から剣を突き刺しました。

瀕死の弟が相手の名前を尋ねると、「私はオウス。またの名をヤマトオグナ」と答えました。

弟クマソは、オウスの猛々しさを称え、「ヤマトタケル」の名を与えました。

その直後、オウスは弟を殺害して死体を切り刻みました。

この時から、オウスはヤマトタケルと名乗るようになりました。

名前
1 男性 熊曾建(くまそたける)
2 男性 倭建命(やまとたけるのみこと)
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イズモタケルの討伐

クマソタケル兄弟を倒したヤマトタケルは、出雲国に向かうと、武勇で名高いイヅモタケルと友情を結びました。

ある日、ヤマトタケルは偽物の太刀(木刀)を腰に下げ、イヅモタケルを誘って水浴びに出かけました。水浴びを終えた後、友情の証として2人は太刀を交換しました。

騙して木刀を渡したヤマトタケルは太刀合わせを挑み、イヅモタケルをひと太刀で斬り殺してしまいました。

名前
1 男性 出雲建(いづもたける)
ヤマトタケル、クマソタケル、イヅモタケルの名前は、「(地名) + 勇猛な人」という意味を持っています。