古事記

5分で読める「古事記」下巻(4)・允恭天皇の改革

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古事記・下巻

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允恭天皇の即位と病気の完治

第18代・反正はんぜい天皇が60歳で亡くなり、弟・オアサツマ(第19代・允恭いんぎょう天皇)は皇位を継ぐよう周囲から勧められていました。

しかし、オアサツマは持病があるため断っていましたが、ついに断り切れずに即位し、遠飛鳥宮とおつあすかのみやで政治を行いました。

この時、新羅しらぎから多くの貢物を運んできた使者・コンハチンカンキムは、とても薬に詳しく、薬を作って天皇の病気を治してしまいました。

名前
1 男性 反正天皇(はんぜいてんのう)
2 男性 允恭天皇(いんぎょうてんのう)
3 男性 金波鎮漢紀武(こんはちんかんきむ)
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氏姓制度の改革

健康になった天皇は、氏姓しせい制度の改革に乗り出しました。

この時代に用いられていた姓は、首長たちが首長であることを表す称号として、勝手に用いられたものでした。

称号の間の上下関係が分からないうえ、姓を偽る者も多くいて、乱れていました。

そこで天皇は、全ての氏を飛鳥あすか甘樫丘あまかしのおかに集めると、言八十禍津日神ことやそまがつひのかみの前で盟神探湯くがたちを行って、氏姓を正しく定めました。

天皇は、第1皇子・カルノミコを後継ぎに決めた後、78歳で亡くなりました。

氏姓制度とは、ヤマト政権の豪族の身分秩序のことです。

氏は、血族グループの名称で、地名に由来するもの(平群氏へぐりうじ巨勢氏こせうじ蘇我氏そがうじなど)、職業・職能名に由来するもの(大伴氏おおともうじ物部氏もののべうじ土師氏はじうじ中臣氏なかとみうじなど)がありました。

姓は、政治的地位や職能などの性格に応じて朝廷から与えられた称号で、おみむらじきみみやっこなどの称号がありました。

盟神探湯とは、探湯瓮くがへという釜で沸かした熱湯に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる神明しんめい裁判です。