古事記・下巻
允恭天皇の即位と病気の完治
第18代・反正天皇が60歳で亡くなり、弟・オアサツマ(第19代・允恭天皇)は皇位を継ぐよう周囲から勧められていました。
しかし、オアサツマは持病があるため断っていましたが、ついに断り切れずに即位し、遠飛鳥宮で政治を行いました。
この時、新羅から多くの貢物を運んできた使者・コンハチンカンキムは、とても薬に詳しく、薬を作って天皇の病気を治してしまいました。
名前 | |
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1 | 男性 反正天皇(はんぜいてんのう) |
2 | 男性 允恭天皇(いんぎょうてんのう) |
3 | 男性 金波鎮漢紀武(こんはちんかんきむ) |
氏姓制度の改革
健康になった天皇は、氏姓制度の改革に乗り出しました。
この時代に用いられていた姓は、首長たちが首長であることを表す称号として、勝手に用いられたものでした。
称号の間の上下関係が分からないうえ、姓を偽る者も多くいて、乱れていました。
そこで天皇は、全ての氏を飛鳥の甘樫丘に集めると、言八十禍津日神の前で盟神探湯を行って、氏姓を正しく定めました。
天皇は、第1皇子・カルノミコを後継ぎに決めた後、78歳で亡くなりました。
名前 | |
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1 | 男性 木梨之軽太子(きなしのかるのみこ) |