中村檀林(日本寺)とは
中村檀林は日蓮宗の学問所で、関東三檀林の一つです。
関東三檀林
- 飯高檀林 / 妙雲山 飯高寺(千葉県匝瑳市)
- 小西檀林 / 妙高山 正法寺(千葉県大網白里市)
- 中村檀林 / 正東山 日本寺(千葉県香取郡多古町)
元応元年(1319年)、千葉胤貞より土地の寄進を受けた法華経寺三世・日祐が、高祐山東福寺を開基したのが日本寺の始まりです。
天正19年(1591年)に正東山日本寺と改称し、慶長4年(1599年)妙福寺六世・日円によって中村檀林が開かれると、常時500人を超える学僧がこの地で学び、270年間で延べ10万人が僧侶となって全国各地へと巣立っていきました。
明治8年(1875年)檀林の廃止によって衰勢に向かいましたが、明治20年(1887年)三三一世・日慶の時に寺を復興しました。
日本寺はあじさい寺としても有名で、境内には8000株50種類以上の珍しい品種の紫陽花が植えられています。
山門
扁額の「正東山」は寛永の三筆の一人と称された本阿弥光悦の書で、池上本門寺、中山法華経寺と並んで関東三額の一つと言われています。
ちなみに、光悦は法華の信仰が厚かったため、同宗の寺院には光悦の作品が多いそうです。
山門の前に仲良く並ぶ、樹齢200年以上の夫婦銀杏。
御神木のような姿をしています。
本堂
「正東学庠」の扁額。
庠は訓読みすると学び舎。古代中国では学校を庠と言っていたそうです。
今で言えば「正東学校」という昔風の呼び名ですね。
黄門様お手植えの紅葉
境内左手には、水戸光圀公がお手植えしたと伝えられる紅葉があります。日本寺では光圀公ゆかりの屏風も所蔵されているそうです。
鐘楼
享和3年(1803年)に建立された鐘楼です。
身代り観音
中央に観音様が置かれていて、身体の悪い部分をたわしで洗うといいそうです。
一切経堂
はるか昔には、約6千巻の経文が納められていました。
寺務所
こちらで御朱印をいただくことができるのですが、コロナ禍のため、書き置き対応となっていました。
柱に木魚がかかっているのですが、用がある場合はインターホン代わりにこの魚をたたくのだそうです。
可愛くて、ちょっとだけ叩いてみたくなっちゃいました。
神社とお堂
本堂の左奥には、神社やお堂がいくつかあります。
妙見七面宮
千葉家の守護神である妙見様が祀られていました。
檀林時代には、多くの学僧達に学業成就の守護神として崇められました。
宇賀神
宇賀神は、頭が人で身体が蛇という姿をした五穀豊穣の神様です。
薬師様
案内に、波の伊八の彫刻があると書かれていたので、宇賀神と薬師様の社に彫られた龍がその彫刻だと思われます。
夫婦稲荷
妙見宮をコの字で囲むように、二社の稲荷神社が建っています。
妙見宮の右側にあるのが豊田稲荷大明神、左側にあるのが岡田稲荷大明神です。
二社は参道で繋がっているので、豊田稲荷から入った場合は岡田稲荷から出ることになります。
豊田稲荷大明神
こちらは右側にある豊田稲荷。突き当りがお社です。
夫婦一対のお稲荷様のため、神使の狐は右側にしかいません。
こちらに子連れの狐がいたので、豊田稲荷は奥様かもしれません。
狐さんだらけのお社
豊田稲荷から左へ進むと、豊田稲荷と岡田稲荷に挟まれる形で2つのお社が建っています。
こちらのお社はちょうど妙見宮の真裏にあり、
中を覗くと、狐さんたちがびっしりと並んでいました。
願い事がある場合、この社から一対のお稲荷様を拝受してお祭りし、願いが叶うとそのお礼にお稲荷様を倍にしてお返しされたとのことなので、きっとその狐たちでしょう。
こんなにもご利益があったということなのですね。
岡田稲荷大明神
さらに左へ進むと岡田稲荷にたどり着きます。
やっぱりこちらの神使は左側だけにいました。
そして、最後に岡田稲荷の鳥居をくぐったら、稲荷社巡りが終了です。
あじさい
季節的にはピーク前でしたが、少しずつ紫陽花が咲き始めていました。
参道
これは過去に撮影したものです。
杉林に沿って花が咲く様子が、とても絵になります。
あじさい遊歩道
色づき始めたガクアジサイ。
まだ何色にも染まっていない、純真無垢な紫陽花も素敵です。
梅雨が本格的になると、もっと濃い色になるんでしょうね。
奥に見えるのは山門です。
参考 あわせて立ち寄りたいおすすめスポットアクセス
日本寺(にちほんじ)
- 住所:千葉県香取郡多古町南中1820-1
- 電話:0479-76-3745
- 駐車場:有
- 参拝時間:自由
- 公式サイト:無