御茶屋御殿跡とは
徳川家康が東金で鷹狩をするため、船橋~東金間に約37kmの東金御成街道が整備されました。
その際に、休息所として造営されたのが御茶屋御殿です。
場所は御成街道のほぼ中央にあり、休息や宿泊の場所として重要な施設でした。
御殿は寛文年間(1661~1672年)に取り壊され、現在は空堀と土塁を残すのみとなっています。
※このような御殿は、街道の起点である船橋に「船橋御殿」、お狩場である東金に「東金御殿」が造営されています。
御成街道を作った真の目的
安房の外様大名・里見氏の動向を探るために御成街道を作り、鷹狩りと称して近くまで行って状況を探るという、政治や軍事的な役割で作られたと考えられています。
家康は、1回目の鷹狩りの時に東金御殿で家臣たちと相談した後、里見氏に伯耆国倉吉(現・鳥取県倉吉市)への国替えを命じています。
家康が東金で鷹狩りをしてから16年、秀忠の鷹狩りを最後に、御成街道は政治や軍事的な役割を終えました。
その後、大御所・家康公に関わるものは恐れ多いものとして焼却処分されましたが、いくつかが現在に残されています。
大坂冬の陣、夏の陣で豊臣氏を倒した後は敵がいなくなり、2回目以降は趣味として純粋に鷹狩りを楽しんだそうです。
家康、秀忠、家光の3代将軍が鷹狩りに御成街道を使っており、東金御殿に泊ったのは、家康(2回)、秀忠(9回)、家光(1回)の計12回となっています。
御茶屋御殿跡の様子
御茶屋御殿跡は、御成街道から180mほど入った場所にあります。
駐車場からあぜ道のような道に沿って進んで行くと御茶屋御殿跡入り口が見えてきます。
御殿跡は、南北123m、東西120m、総敷地面積約3,600坪の広さがあります。
周囲は空堀と土塁に囲まれ、敵が攻めにくいような造りになっています。
家康のための御殿は全国に40か所ほどありますが、当時の面影が見れるのは、この御茶屋御殿だけなので、とても貴重な史跡です。
現在は草が生い茂った原っぱとなっていますが、普段は人が訪れることが無くひっそりとしています。
アクセス
御茶屋御殿跡(おちゃやごてんあと)
- 住所:千葉県千葉市若葉区御殿町
- 入場料:無料
- 駐車場:有
- トイレ:無
- 公式サイト:無