※夷灊神社は通称・夷隅神社と呼ばれています。
拝殿
本殿
表参道
太鼓橋を渡ると二の鳥居があります。
橋の下には夷隅神社水路が通っています。
摂末社
子安大明神
諏訪神社
その他
招魂碑
菰田、左右田両君招魂碑(千葉県最初の殉職警察官の碑)
表忠碑
西南戦争をはじめ、その後の戦争で戦死した人々のために建てられた忠魂碑です。
御祭神
夷灊神社
御祭神
- 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
- 大己貴命(おおなむちのみこと)
- 稲田姫命(いなだひめのみこと)
社格
郷社
創建
不明
御由緒
夷灊神社(通称・夷隅神社)は歴史も古く、鎮座の年代は不詳ですが、大多喜町では最も格式の高い神社です。
社伝によると、長久2年(1041年)に再建され、さらに天正15年(1587年)に里見氏の将・正木大膳亮(時堯)が再建したと伝えられています。
天正18年(1590年)、大多喜城主として本多忠勝が入封し、城下町の整備を進めると、現在地にあった神宮寺を栗山に移転し、祇園院大円寺から牛頭天王を勧進し、牛頭天王社を奉斎しました。
その後は、最後の城主・松平正質まで、篤く崇敬・加護されました
江戸時代の頃は牛頭天王宮と称し、大多喜城下新丁、柳原、桜台、久保、猿稲、田丁、紺屋七町の氏神として崇敬されました。
社殿は、江戸時代貞享2年(1685年)に本殿が、安永5年(1776年)に幣殿、拝殿が複合した形で建立された権現造りの形式になっています。
明治元年(1868年)に夷灊神社と改称し、明治12年(1879年)、社格は近隣47町村の郷社となりました。
町当局、氏子、篤志家のご厚意により、平成の大修理が行われ、平成26年(2014年)3月に竣工しました。
御利益
五穀豊穫、農業・漁業の守護、航海・交通安全、学業成就、商売繁盛、家内安全、厄除開運、病気平癒、縁結び、夫婦和合、安産・子育て、国土安全、国家安泰など
御朱印
無し
アクセス
夷灊神社(いしみじんじゃ)
- 住所:千葉県夷隅郡大多喜町新丁63-12
- 電話:0470-86-4674
- 駐車場:有(一部契約駐車場になっているので注意が必要です)
- 参拝時間:自由
- 公式サイト:無
駐車場前の道路は一方通行なので、帰りは右折禁止です。
また、道路の角度がきついため、駐車場から出るときは車を切り返さないと出られません。