玉前神社からほど近い所に、一宮町の歴史が感じられる古き良きお寺があります。
神社は時々参拝させていただくのですが、歩いてすぐのところに、こんな由緒あるお寺があるとは知りませんでした。
観明寺とは
観明寺は天平6年(734年)に行基が開基し、慈覚大師・円仁が中興したと伝えられています。
宗派は天台宗で、江戸時代には朱印12石がありました。
四脚門
観明寺を訪れるとまず目にするのが四脚門です。
江戸時代初期に建築されたと言われており、屋根は切妻型で、もともとは茅葺屋根でした(現在は銅板)。
正面の蟇股には堀家の家紋「沢瀉」、背面の蟇股には「卍・巴」の寺社紋が彫られ、神仏混淆の名残りがあります。
※堀氏は、江戸時代の中頃に一宮と周辺の村を支配していた領主です。
本堂
旧本堂は、三十世住職・俊栄が宝永6年(1709年)に本堂の造営を志し、享保3年(1718年)三十二世住職・智海の代に、海岸に漂着した木材を使って建てられました。
九間四面破風造りの宏大な建築物でしたが、第二次世界大戦中に荒廃したため、現在は当時の姿を見ることはできません。
※現在の本堂は、昭和43年(1968年)に落成しています。
本尊は十一面観音で、寺伝の文書によると海上より出現したと伝えられています。
本堂正面の欄間には、房州の彫刻師・井上円徹の作と伝えられる「地獄極楽図」が彫刻されています。
山号は「玉崎山」。玉前ではなく玉崎なんですね。
扉やその他の場所には菊の紋があしらわれています。
彫刻には目を引き付けられるものがあります。
装飾された鬼瓦も、なかなか立派です。
鐘楼
金毘羅堂
金毘羅堂は江戸時代中期、町内上宿に住む信者・斉藤伝九郎が海難守護・大漁祈願のため、香川の金毘羅大将の分霊を勧請したのが始まりです。
当初は自宅の神棚に安置して信仰していましが、その後愛宕山安養寺に奉安しました。
明治維新前は玉前神社境内にお堂がありましたが、神仏混淆禁止令により、現在地に安養寺を移して仮堂とし、明治12年(1879年)に現在の姿に近い御堂が建築されました。
天保8年(1837年)と彫られた手前の御影石の柱は、元々は鳥居でした。横木は神仏分離令により取り除かれたようです。
平成6年(1994年)の解体修理で、建立年代を記した墨書きが確認され、建立が延享5年(1748年)と分かりました。
屋根を当初の茅葺と同じ形に修復し、堂内の大部分に建立当時の材木を再利用することで、創建当時の面影が甦りました。
※建物の雰囲気は、金毘羅宮の厳魂神社(奥社)とよく似ています。
水屋
水屋は安永8年9月(1779年)の制作で、金毘羅堂とともに明治12年(1879年)階段下に移転しました。
四本の柱に彫られた上がり竜・下り竜、水屋石の彫刻が精巧で見事です(作者不明)。
平成8年(1996年)の御堂の改修後にこの地に移転し、屋根を旧来の瓦葺き入母屋作りから杮葺きに直しています。
弁天堂
経堂
経堂は、寛文6年(1667年)に建立されました。
釈迦石像を安置し、一切経が奉安されていましたが、老朽化が激しくなり、平成5年(1993年)に改築しました。
その他
四脚門をくぐって右側に、6体のお地蔵様が並んでいます。
本堂手前にある松がとても立派でした。
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アクセス
観明寺(かんみょうじ)
- 住所:千葉県長生郡一宮町一宮3316
- 電話:0475-42-2342
- 駐車場:有
- 参拝時間:自由
- 公式サイト:http://tamasakiyama.com/