龍正院とは
龍正院は天台宗の寺院で、坂東三十三観音霊場第28番札所でもあります。
本尊は十一面観世音菩薩で、通称「滑河観音」として親しまれています。
仁明天皇の承和5年(838年)。慈覚大師の開基と伝えられています。
この年の5月、この地域は時ならぬ冷害に見舞われ、人々は飢えに苦しんでいました。
滑河城主・小田将治は凶害に苦しむ人々を救うため、龍正院の十一面観世音に祈願すると、満願の日に「朝日姫」と名乗る少女が現れました。
その少女は、「汝の願いごとかなうべし」と小田川の朝日ヶ淵に案内して姿を消しました。
川には船を浮かべた老僧がいて、川から小さな観音像をすくい上げると将治公に与え、「この渕より湧く水をなめよ」と教えて去っていきました。
そのお告げ通りにお堂を建立して観音像を安置したところ、気候が回復し、豊作となりました。
※小さな観音像は、後に本尊の胎内に納められました。
さすが将治公、藩主の鑑です。佐倉藩主・堀田正信とは大違いです!!
仁王門
仁王門は室町時代の文亀年間(1501年~1504年)に再建されたもので、桃山期の建築様式として国の重要文化財に指定されています。
その佇まいは茅葺き屋根の立派なもので、正面にはしめ縄が飾られています。
でも、お寺なのにしめ縄って珍しいですよね。
実はこれ、江戸時代に門前で火事が発生し、仁王様が火勢を止めたという伝説に由来し、仁王様への感謝と五穀豊穣・子孫半円を願い、毎年1月8日に地元の人々が奉納しているそうです。
阿形像。
吽形像。
本堂
本堂は元禄9年(1696年)、徳川綱吉公の寄進によって再建されたものです。
滑河山の扁額。
観世音の扁額の下には、天人の彫刻が施されています。
天井の左右には美しい迦陵頻伽が描かれていました。
まるで天女ですね。
手水舎
銅造宝篋印塔
芭蕉の句碑と夫婦松の向かいに建てられた塔は、享保3年(1718年)江戸神田の住人「小幡内匠」により鋳造されたものです。
側面には寄進者の名がびっしりと彫られているため、観音信仰がとても盛んだったことがうかがえます。
芭蕉の句碑と夫婦松
夫婦松は赤松の名木です。
句碑は寛政5年(1793年)の銘で、「観音のいらか見やりつ華の雲」と刻まれています。
貞亨3年(1686年)、芭蕉が43歳の時、病気で深川の芭蕉庵に寝ていた時に作った句で、
「はるかに遠く浅草観音の方角に目をやると、遠近一面雲と見まがうばかりの桜が咲き連なって、その中に観音の大屋根だけが黒く小さく眺められる」
という意味が込められています。
ぼけ封じ道祖神
高齢化社会を迎え、ぼけ封じのために中興第二十世が感得した道祖神を彫刻させ、奉祀したものです。
アクセス
龍正院(りゅうしょういん)
- 住所:千葉県成田市滑川1196
- 電話:0476-96-0217
- 駐車場:有
- 参拝時間:3月~10月(8:00~17:00)、11月~2月(8:00~16:00)
- 公式サイト:https://www.namegawakannon.jp/